大学院教育発達科学研究科・教育学部
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: 心理発達科学専攻 :
修士論文提出者の声
●修士論文を書かれる方へのメッセージ
これまで、大学院への進学者が少ないと考えられていた人文科学の分野でも、近年、大学 院への進学を希望する人が増えてきています。このような状況の中で、私自身の経験を踏ま えて、これから修士の学位を取ろうと考えている方に伝えておきたいことを記します。
まず、修士の学位はそれ自体に価値があるのではなく、それを取得するまでの過程に価値 があるのだと思います。大学院では、自分の関心のあるテーマを見つけ、計画的に研究を行 い、学会などを通じてその成果を対外的に発表していくことが必要となります。同時に、心 理学という領域に関する専門的な知識を習得することも求められます。これらの集大成が修 士論文であり、修士の学位につながるのです。
しかし、研究と勉強をうまく両立していくのは「言うは易し、行うは難し」です。私の場 合、研究テーマが早くから明確であり、研究活動に関しては積極的に取り組めたと思います が、その分、基礎的な知識の習得や文献の精読などが疎かになったことは否めません。逆に、 いろいろと勉強しているのに、研究テーマがなかなか決められず、気がつくと時間がない、 という場合もあると思います。2年間は長いようで短いものです。何事も早すぎるというこ とはありません。修士論文の執筆には、研究と勉強のバランスを考えながら、意欲的に行動 することがとても重要になってくるでしょう。
また、研究を進めていると、どこかで必ず「壁」にぶち当たるときが来ると思います。そ のような時は、一人で悩まず、信頼できる人に相談することをお勧めします。ただし、最初 から他人をあてにするようでは、おそらく本当の意味で「壁」を乗り越えたことにはならな いでしょう。まずは自分で徹底的に考え、調べ、悩んで下さい。それでも前に進めない時に は、他の人に相談することが「壁」を乗り越えるための大きな意味を持つのだと思います。 研究生活を進めていく上で、人間関係はとても重要な要素です。大学院におけるさまざまな 人々との交流の中で、お互いにサポートしあえる関係を築いていくことは、とても大切だと 思います。
最後に、大学院は良くも悪くも自己責任の世界です。修士の学位は取得するまでの過程が 大事だと先に述べましたが、得られた学位に満足できるかどうかは、結局のところ、自分次 第です。博士前期課程の2年間、有意義な日々を過ごしていただきたいと思います。
●修士論文を書き終えて
修士課程はほんの二年ですが、中には二年もという人もあり、その意味づけは人により異 なってくる物なのではないでしょうか。特に臨床系の学生ではその多様性の幅は広く、今回 このような文章を集めるにあたり、臨床系からも一人と声かけを受けたのもそのような部分 があってのことなのではと思っています。以下は個人的な体験となってしまいますが、修士 論文を書いていく中で私なりに得られたものが、単に臨床系の学生に限らず“ひと”を捉え ようとする研究者として共有できるものであるといいなと思います。
私は、修士二年の間ずっと、研究対象(高齢者)と臨床フィールドの兼ね合いをどうして いったら良いかという迷いを抱えていました。その様な中で、結果として修士論文には直結 しなかったものの、それに随伴して回想法に携わる機会をもち、医師,地域行政職員,保健 士,作業療法士の方々と一緒に研究事業を進めていくうちに、コミュニティの各階層におけ る健康観の相違を実感でき、それが先の問題の大きな指針となりました。そしてそれは、高 齢者臨床の問題だけでなく、生涯発達研究においても、高齢者の発達観そのものを考えさせ られるような視点の広がりを生む結果となったのです。
また、修士論文そのものに限らず、そこに至るまでの各時点でまとめていったものを見て いくことは、諸々の意味で自分自身の変遷がたどれて面白いと感じました。修士論文は、あ る時点での静的な到達物としてだけでなく、それにまつわる生き生きとしたエピソードを伴い私の中に存在しています。そして幾つかの人生移行の中で、卒業論文よりも、より一段進 んだ視点から、研究者として,一個人として,さらに臨床系であれば臨床家としての自己の プロセスを改めて捉え直す事が出来るのが、修士論文なのではないでしょうか。その様な視 点で捉えると、修士論文の位置づけも新たになるのかもしれません。
●これから修士論文を書かれる皆さんへ
ここでは私の修士論文作成の過程をふり返り、「もっとこうしていれば良かったのに」とい う反省点をいくつか挙げることで、これから修士論文を書かれる皆さんに、少しでも参考に なればと思っています。
私の修士論文の反省点は大きく3つありました。1つ目は、卒業論文を見直すことを通して 自分の研究の原点をはっきりさせていなかったことです。2つ目は、研究をさまざまな側面 から支えてくれる人たちの大切さを軽視していたことです。そして、3つ目は効果的な休息 をとれなかったことです。
まずは、1つ目についてです。卒業論文はさまざまな視点から見直されるべきだと思います が、特に私の場合は「卒業論文で何を明らかにしたかったのか?」という問いかけを、自分 自身に対して十分に行うべきだったと感じています。こうした問いかけをするということは、 「何に興味を持っていて、それが卒業論文でどれほど実現できたのか」を明確にすることにつ ながります。つまり、一言でいうと「自分の研究の原点を自覚すること」につながるのです。 修士論文を完成させるまでには、途中、いくつも乗り越えなければならない壁があります。 ときには「なぜこんな研究をしているんだろう」と思い、停滞してしまうこともしばしばで した。そのようなとき、もし自分の研究の出発点がはっきりしていれば、その壁を乗り越え る強い意欲が維持できたと思います。卒業論文を見直すことで自分の研究の原点は明確にし ておくことは、自分の歩みを止めないという意味において、とても大切だと思いました。
次に、2つ目についてです。自分の研究の原点をはっきりと自覚し、前へ進もうという強 い意志が持てたとしても、やはり自分一人の実力では乗り越えられない壁はいくらでもあり ました。そのようなときに、研究について助言をしてくれたり、励ましてくれたりする人が 身の回りにいることは、心強いことです。指導教官はもちろんのこと、気楽に研究のことを 話せる諸先輩方、また、自分と同様に修士論文に取り組んでいる同輩との関係も大切だった ように思います。自分の歩みが着実に前進へとつながるためには、やはり周囲の人の協力が なければいけないと思いました。
最後に、3つ目についてです。どんなに興味のある研究テーマに取り組んでいたとしても、 時にはそこから離れて休みたくなるのは仕方のないことです。しかし、私の場合は休息をし ている間も「修論を仕上げなければ」という焦りを感じてしまい、せっかくの休みを台無し にしてしまうことがよくありました。これでは神経がすり減るばかりです。効率よく研究を 進めるためには、効率よく休息をとらなくてはいけなかったと思います。何もかも忘れて没 頭できる趣味があるかどうか、息抜きをしたいときに一緒に遊んでくれる友人がいるかどう か、研究に専念するために余暇の時間を無くすという選択は、おそらく間違っています。む しろ、余暇の時間を最大限に生かすことで、少ない時間でも済むように工夫しなくてはいけ ません。いかに休み、そして遊ぶかといったことを工夫すれば、もっと精神的な負担が減ら せたかもしれません。
私の反省は以上です。どれほど参考になることが書けたかはわかりませんが、この文章を お読みになった皆さんが、私の反省点をそれぞれの形で活かしていただければ幸いです。
●前期課程を振り返って
私は入学当初、教育学部図書室に収められた先輩方の書かれた修論(の背表紙の厚さ)を 見て「こんなに長い論文を…」とぐったりしていました。前期課程を修了するために一番大 切なことは長い論文を書けるかどうかということだ、と考えたからです。
しかし、本格的に修論に取り組み始めると、授業に参加すること、何を研究するか考える こと、先行研究をあたること、指導会・院生コロキウムで発表をすること、調査先を探すこ と、調査を行うこと、データを分析すること、本文を書くこと、図表を作ること、口述試験 を受けること、調査先に研究結果を報告すること、抄録を書くことなど、いろいろなことを しなければ修論を提出し、前期課程を修了することができないのだと分かりました。そして、 時期により優先順位は変動するものの、ほぼすべての期間にわたり、同時に複数のことがら を進行させなければいけないことも分かりました。
私はとにかく研究内容を活字化することが難しいのだと考えていたので、論文をまとめる こと以外にもやらなければいけないことがいろいろあるという現実を予想外の負担として受 け止めた可能性もあったと思います。しかし、実際にはこのような状況は私にとってラッキ ーなものでした。論文の構成がうまくいかないときに調査先で実験をしつつ子どもと遊ぶ、 片道1時間かけて出かけた調査先で実験のデータが1つも取れずぐったりしても院生室に戻っ て論文を書き進める、本文を書くことに気乗りがしないときに徹底的にデータのバックアッ プをする…、いろいろなことをしなければいけないという状況は1つのことを進めることにと らわれて行き詰まることを回避するよい方法になったからです。研究以外のことをしてリフ レッシュするのももちろんよいですが、気分転換をするついでに研究もちょっとだけ進む (ような気がする)というのはお買い得だなあとも思っていました。もちろん、気分転換のた めだけでなく、実際に経験を積めること自体も有益なわけですし。
振り返ってみると、私はこのようにいろいろなことにほいほいと取り組んで修論を書き上 げたような気がします。もう少しよく考えておくことも必要だったと思うのですが、私にと ってはそれこそが修論を提出できた大きな要因だったように思います。
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