大学院教育発達科学研究科・教育学部
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博士論文提出者の声
●博士学位論文の執筆を今思うこと
2000年3月、博士(教育心理学)の学位を名古屋大学より授与された。後期課程3年で提 出し、豊田講堂での授与式に総代として出席する機会を得た。それまで総代というものを経 験したことはなかったので、小学1年生から数えれば21年目、学校段階の最後の最後で経験 したことになる。
学位取得者ということは、きっと成績も良く、まじめに勉学に取り組んでいたのだろうな あ、とお思いの方もいるかもしれないが、私は今から考えれば実に不真面目な学生だった。 成績も決して良いわけではなく、大学院に入るのもやっとというような状態だった。そんな 私がそれまでの自分と決別(?)し、研究に没頭するようになった背景には、大学院の先輩方 との出会いがある。先輩方から学んだことは研究内容そのものよりも、むしろ大学院生、そ して研究者としてのあり方についてであった。そのような刺激が得られることも、この大学 院の良いところだと思う。これから大学院を目指す人の中には,大学院とは大学の延長線上にあるものだと考える人がいるかもしれないが、大学院生は「学生」であるよりも「研究者」としての意識を持つべきだというのが、大学院生を経験した私の感想である。知識を自分のものにすること(インプット)はもちろん大切なことだが、それ以上に研究成果を産出し、公表すること(アウトプット)を重視した方がよいだろう。もちろん、研究者として歩み始めたばかりの大学院生にとって、研究成果を公表するのは勇気がいるし、色々な苦労が伴う。ただし、苦労するのは学位を取る前でも後でも変わりはないのだが…。また公表したり、しようとする研究成果には様々な反応が返ってくる。その中には厳しい意見もあるだろう。しかし忘れてはならないことは、大学院とは研究者としての第一歩を踏み出す場所であり、そのためには研究成果の公表が不可欠だということである。
…と少しだけ先輩らしくアドバイスめいたことを書いてみたが、実を言うと私も前期課程 に入学した当初は、「大学院は大学の延長だ」くらいにしか捉えていなかった。その意識が変 化し始めたのは、修士論文を執筆している時だっただろうか、しだいに「自分はこの道を進 んでいくしかないんだ」「後戻りはできないんだ」と、あきらめとも居直りともとれる考えを もつようになっていった。そう考えた私の研究の進め方は、とにかく思いついたら調査を重 ねて分析してみる、というものだった。結果的にデータは蓄積され学位論文につながったが、 それは失敗・落胆・反省の繰り返しでもあった。しかしその一歩間違えば無謀ともいえる研究スタイルを続けることによって、多くのことを学んだのは確かである。そこで学んだこと を少しでも後輩達に伝えていこうとも思うのだが、それは経験を重ねる中でしか学べないこ となのかもしれない。
さて、昔から博士号は「足の裏の米粒」にたとえられることがある。これは、「とらなくて も支障はないが取らないと気になってしょうがないもの」という意味を指すそうだ。しかし 近年、大学や研究者を取り巻く環境の変化とともに、学位のもつ意味も変わってきている。 若手研究者にとって、すでに学位は「足の裏の米粒」ではなく、研究者としての第一歩を踏 み出した「足跡」のようなものなのかもしれない。これから大学院で学ぼうという皆さんは、 とにかく研究活動を積み重ね、学位の取得に挑戦してほしい。先生方も先輩方もきっと、目 標をもって取り組む大学院生を応援してくれることだろう。
私の指導教官であり、退官された小嶋秀夫教授が、大学院での最後の授業で言われたこと が心に残っている。出席していた院生全員に向けて言われた言葉だが、私に向けられた言葉 ようにも感じられ、忘れることができない。最後にその言葉を皆さんに贈りたい。 ?これだ、と思う領域が見つかれば、納得できるまで研究を続けてみればいい。頭で考え ることも大切だが、それ以上に体を動かす。たとえ発表に耐える結果が得られなくても、そ こから何かしら学ぶことはあるはずだー
●学位論を書き終えて
“ヒーローインタビュー”ともいえるこの原稿を依頼されたものの、本音をいうと複雑で す。自分的には“ただ学位論文を提出しただけ”という感じで、大学院生時代に行った研究 の途中経過報告書くらいの感覚でしかないのです。もちろん「これで全てが終わった」とか、 「いいものが書けた」などという開放感などまるでありません。しかし研究生活を終えるわけ ではなく、学者としての人生が始まったばかりで、規範研究でやりたいことはまだたくさん 残っているのが現状です。しばらくプロジェクトを進めてみたいと思っているからこそ、こ れで終わったなどという、征服感に似た充実感はなくて当然なのだと思います。課程博士を 取得した諸先輩方は大抵この原稿を執筆されておられますが、学位の性格が「碩学泰斗」の 賜物から、大学教員の免許的な意味合いに変わってきている昨今です。今後は課程博士の取 得が当然となり、特段の扱いをされることもなくなっていくと思いますし、また早い内にそ うなって欲しいとも思っています。
現在女子大で教鞭をとっており、日々授業準備や教育指導に忙殺されております。学位を 取得したのは教育学部で研究員としてお世話になっているときで、もう遠い昔のことのよう な気がします。あの頃は・・・なんていうほど時が経過しているわけではないのですが、職を得 て改めて思うことはホントに研究する時間がない!講義とゼミの予習をして授業をやり、会 議や打ち合わせをこなすだけで精一杯、研究活動の優先順位は下がり続けておりますし、現 にこれまでのようなペースは全然こなせておりません。この現実に直面すると、大学院生時 代に研究に専念してホントに良かった、アレがなかったら今の自分はなかっただろうなぁな んて心から思ったりします。もちろん、業績がなければ職を得られないという面もあります が、同じ研究室の研究について話をすることができる友人や先輩・後輩、手に入らない論文は ないといえるほど充実した図書館、思い立ったらすぐに相談に行ける指導教官など、これら がとても貴重であったと思うのです。間違いなく、研究するには最高の環境が用意されてい たと思います。そういう意味でこれを読む皆さんは、自分が研究をする上で非常に恵まれた 環境に入るということを実感していただくのと同時に、それを十分に利用していただきたい と思います。
さて、学位論文の話に入りたいと思うのですが、博士前期課程入学(これを“入院”とい うそうです)時の私は間違いなく、同期の中で学位から最も遠い所に位置した院生でした。 目標・知識・やる気・研究センスの全てが欠落しており、指導教官にも「死ぬ気でやれ、今のおまえはお話にならない」と初めから宣言されていました(指導教官の名誉のためにいってお きますが腹は立ちませんでした、ホントにその通りだという自覚もあったので。)。“同期でド ベ”というと何を根拠に、、、といわれそうですが、成績順にもらえる奨学金の呼び出しが一 番最後であったことは、その客観的指標として充分でしょう。まぁとにかく、こんな私でも 5年と9ヶ月で学位を取得できてしまった訳なので、今一度、自分が何をやってきたのか振 り返ってみたいと思います。もっとも、人と違うことを特にやったわけではないのですが、 実は入院した時に一つだけ心に決めたことがありました。それは修論をがむしゃらにやろう、 後期入試のあとでも「お話にならない」といわれたら、その時はきっぱりこの道を諦めよう ということでした。というのも、修論は後期課程以降の研究の基礎をなすものであり、学位 論文にも後期課程入試にも大きくつながっているものだと思ったからです。修論がダメなら 後期課程の入試も合格が微妙になり、ひいては研究者としての資質も疑問視されることにな るはずです。滅茶苦茶な話ですが、私は体力だけは自信があったので、「人の半分の才能でも、 4倍努力すりゃ倍やれるはずだ」などと思い、とにかく修論に全力を投入しました。修論を 学位までの通過地点くらいに捉え、もっと長いビジョンを持つようにという意見もあります が、私はまずは修論をきっちりと仕上げることを最大の目的としたのです。結果として、修 論で色々と苦しんだことが研究の視点やデータ分析、論文の書き方の基礎を習得するのに大 いに役立ちました。この辺は色々な考え方があると思うのですが、少なくとも私のように基 礎ができていないという自覚がある場合、修論で苦しむことが実は学位への一番の近道なの かもしれません。
次に投稿論文について。これは相手がいるものなので、どういう審査者に当たるかによっ て事情が違ってくると思いますが、近隣領域の学会に可能なだけ入ることをアドバイスとし たいと思います。それは、一カ所に絞って投稿してリジェクトされ、やる気をなくしてしま いそのままになってしまうことが良くあるからです。そうした場合、いくつか近隣学会に入 っていれば次の投稿先に挑むこともできるのですが、変に本命一途だとそうした余裕すらな くしてしまいかねません。リジェクトされても人格否定されたわけではないのですから(結 構そう思ってしまう人もいるようですが)、審査者との相性が悪かったくらいに考えてどん どん次に行けばいいのです。果敢に挑んでどんどん研究成果を発表して欲しいと思います。 現在教育発達科学研究科では、これが2本通らないと学位の執筆資格が得られません。今後 は学位が大学教員の免許として機能していくこと、課程博士の取得が推奨され論文博士の枠 がどんどん狭まっていく(=取得しにくくなっていく)ことを鑑みると、後期課程の内に修論 を元に、できるだけ早く論文を投稿することが求められます。そして既出ですが、その時に は論文が通った先輩や指導教官のアドバイスをしっかりと受け、そのノウハウをいかんなく 身につけて欲しいと思います。
最後に一ついえることですが、名大教育の大学院でなければ今の私は絶対にありませんで した。やりたいことをやりたいだけ、やりたいように研究できるこの環境と、それを充分に サポートしてくれたスタッフのおかげであると断言できます。しかし、これを利用しない院 生が多いのも現状です、何のためにわざわざここに入院したのだろうと思います。指導教官 のアドバイスを十分に受け、自分の研究センスを磨いて下さい。残念ながら日本では、大学 院を修了したら民間企業への就職は難しくなります、換言すれば研究者としてやっていくく らいしか食べていくことができないのです。そして、アカデミック・ポストをめぐる環境は ますます厳しくなってきています。これを読んでも大学院を志ざそうと思った皆さんが努力 を重ね、教育発達科学研究科の研究活動がますます活発に行われていくことに期待したいと 思います、頑張って下さい。
●博士学位論文を書き終えて
昨年度(2003年)、名古屋大学より博士(心理学)の学位を授与されました。後期課程3 年間における研究の総まとめということで、多少の喜びや安心感を感じたのは確かです。し かし、だからといって、自分のこれまでの研究に満足できたかといえば、「ほとんど満足できていません」というのが正直なところです。
今日では、学位は「研究者としての独り立ちのライセンスといった意味合いのもの」とな ってきています。学位は研究者としてのライセンス、つまり「免許」ということです。
免許というと、何となく自動車の運転免許を思い出しますが、一般に、運転免許をとるこ とだけを目標として教習所に来る人はほとんどいないでしょう。当然、「自動車に乗るために 免許をとりに来ているはずです。また、自動車免許を持っているだけで、「自動車の運転が上 手ですね」などと思われることも、まずないでしょう。若葉マークを車に付けながら恐る恐 る運転を繰り返し、何年何年も一生懸命練習し続けた人だけが、ようやく「運転が上手です ね」と言われるようになる、というのが現実でしょう。
そうだとすると、博士という学位の取得も、研究者としての目標というよりは、研究者に なるための最低条件に近いものではないかと思われます。大学院に入って博士の学位をとっ たからといっても、それは、研究者として特に優れた能力を持っていることを意味するわけ でも、十分な業績をあげたことを意味するわけでもなく、「あなたは、1人の研究者としてや っていくのに、最低限必要な知識・技術を身につけましたね」ということを意味しているだ け、と考えた方が適当でしょう。したがって、学位をとるだけで満足してしまえば、研究者 としての出発点で止まってしまうことになりかねません。普通に考えても、後期課程に入学 (進学)してから数年間研究しただけで、優れた研究者などになれるはずもなく、むしろ、 「免許(学位)をとった後、どれだけのことをしていくのか」ということの方が、はるかに重 要な問題になるでしょう。
…と、書いてしまうと、学位をとることは何だかとても簡単なことのように感じられてし まうかもしれませんが、免許である以上、その取得に際して一定の困難は伴ってきます。学 位論文を書くためには、当然「研究」をしなくてはなりません。そして、この「研究」は、 いままでに行っていた「勉強」とは大きく異なります。研究は、基本的には、今までに誰も 知らないことを明らかにしていくことです。研究での問いに対する「正答」は誰も知りませ んし、どの本にも載っていません。また、「正答」に確実にたどり着くことのできる方法につ いても誰も知りません。これまでに、誰も知らなかったことを、独自の方法で科学的に明ら かにしていく、という課題にあたっていくことになります。さらに、研究の結果は審査付き の学術雑誌に投稿して公表することが求められます。
このため、研究を行っていると、何らかの壁にぶつかって頭を抱えることが多かれ少なか れでてきます。そんな時には、とりあえず身近な人に話してみると意外にいいアイディアが 出てくることが少なくありません。また、特に頭を抱えている時でなくても、人と話をしてい るうちに、自分の研究に役立つヒントを得られることもかなりあります(当然のことながら、 自分では気づかなかった問題点を指摘されて、逆に頭を抱え込むこともありますが…)。さら に、この研究科では、研究室内のみならず研究室間での交流が非常に盛んであるという特徴が あります。論文の投稿をサポートするための授業も開かれており、指導教員はもちろんのこと、 他の研究室の先生方からも各自の研究に関する様々な助言を受けることができます。
また、研究テーマによっては、大学の外に出て調査や観察を行うこともでてくるでしょう。 私の場合、研究テーマが「学校教育場面におけるグループ学習」であったこともあり、あち らこちらの小学校・中学校におじゃましては、授業を観察させていただきました。そして、 先生方からは、授業の準備などでお忙しいにもかかわらず、様々なお話を伺うことができま した。その中から、大学の中で文献をあたるだけでは得られないような視点が得られること もしばしばでした。
このように、研究というものに対して真剣に向き合い、また、話し合う風土が大学の内外 にあることは、私にとって非常に大きな支えとなりました。この研究科で研究をしようと考 えている方も、自分の研究テーマにかかわらず、なるべくいろいろな人と話し合いながら、 研究を進められることを希望します。
最後に、「大学院で研究はしたいけども、昔から勉強は苦手で…」という人がもしもいたら、 それは本人の努力と気合い(やる気)で、少なからず何とかなるものです。私自身も、勉強 はあまり得意ではありません。しかし、研究の面白さは勉強の辛さ(?)を上回るものだと 思います。ぜひ頑張って勉強して、みんなで研究しましょう!
●博士学位論文を書き終えて思うこと
「博士論文提出者の声を書きませんか」と言われて、「期限ぎりぎりにやっと論文を提出し た私でいいのか?」と戸惑いました。でも、それだからこそ言えることがあるかもしれない と思います。そして今、後期課程への進学希望者に論文の感想を聞かれたら、「苦しかった。 でも、書いてよかった」と答え、「挑戦した方がいいよ」と付け加えたいと思います。
「苦しかったこと」の一つは自分の考えを言葉にするむずかしさです。また、一つは論文 がなかなか採択されない苦しさでした。修論をまとめた論文をD1で査読つきのジャーナル に投稿しましたが、なかなか採択されず、論文として掲載されたのは4年目でした。非常勤 の仕事をしていたので、「そんなに論文にこだわらなくても」と逃げの言葉が何度も脳裏をか すめましたが、指導教官に「何が何でも世に出す気持ちでがんばりなさい」と言われた言葉 を支えに踏みとどまりました。さらに、もう一つの苦しさは臨床事例を論文にする戸惑いで した。守秘義務はカウンセリングの基本です。自分の中で、守秘義務と論文執筆に折り合い をつけるのは難しい問題でしたが、最終的には、論文にまとめたい気持ちをクライエントに 伝え、意向を聞くことにしました。事例をまとめることは臨床家としての技量が明らかにな ることでもあり、この不安も大きかったのかもしれません。
「書いてよかった」と思うのは次の三つの理由からです。一つは研究の視点が明確になる ことです。博士論文は査読つきの論文2本以上と紀要などいくつかの論文を柱にしてまとめ ます。問題意識を深める形で一連の研究が行われれば問題はないのですが、まだ、研究を始 めたばかりの時期であり、論文の目的や使用している概念が異なる場合、一つの論文にまと めると整合性や一貫性の問題が生じます。しかし、それぞれの研究はより潜在的な問題意識 でつながっているかもしれません。一つの論文にまとめようとすることで問題意識、研究の 問題点や限界が明らかになります。
二つ目はタイムリミットのありがたさです。課程内博士は後期課程進学後6年以内という 期限があります。完成度の高い論文を目指しすぎると論文はいつまでも完成しません。「年数 う」と考え、不全感がいっぱいながらも、論文を「えいっ、やっ」と提出しました。タイム リミットがないと論文を抱え込んだままで、提出できなかったかもしれません。
三つ目は就職との関連です。大学や研究所への就職を希望する場合、学位は大きな意味を 持ちます。かつて、博士学位は長年の研究の集大成でしたが、今は研究者としての独り立ち のライセンスです。学位が就職に有利なだけでなく、学位を持っていないとやり残しの課題 (借金)があるように感じられるかもしれません。また、就職すると忙しく、研究以外のこと でエネルギーを消耗します。現在、私は新しい職場で講義の準備や臨床心理士養成の訓練に 追われています。「今、博士論文を書けといわれても無理だ。あのときがんばっておいてよか った」というのが実感です。
最後に、発達臨床専攻の特徴を考えると、大学院生は研究能力と臨床の力を高めることが 求められるので、6年間で博士論文をまとめるにはかなりの努力が必要です。また、臨床の 博士論文を書くノウハウとして、(1)卒業論文や修士論文で数量的な研究を行った場合、まず、 それを論文としてまとめ、併行して、(2)研究領域に関連するフィールドを見つけ、順次、臨 床経験を論文にしていくことが必要かもしれません。
振り返ると、多くの先生方に助言や励ましの言葉をいただきながら、そして、仲間に支え られながら博士論文を書き上げる経験は研究者としての貴重な第一歩になりました。これか らはこれまでの経験をもとに研究を進めるだけでなく、博士論文に挑戦する大学院生に「ぎ りぎりの提出でもいい。あきらめないでがんばれ」とエールを送りたいと思います。
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