(日本科学教育学会第20 回年会 広島女子大学、広島国際会議場 1996.7.28-30)
情報リテラシーの基底としての学校教育における「情報」の機能と意義の検討
Examination of the Functions and Significance of "Information" in School Education as Foundation of Information Literacy
課題研究:情報リテラシーの新展開
〈要 約〉 情報リテラシーを考えるために、新たな教育内容、教育手段としての「情報」の本質的特性から、その機能と意義を考える.教育の情報化の問題の多くは、旧来の教育内容の扱い方を「情報」にも適用することから、それらの間で不適合がおきているために起こる.「情報」の本質的特性を考慮して、学校における教育内容を再構成する必要がある.新たな情報リテラシーは、それを基盤として成立すべきものである.
〈キーワード〉 情報リテラシー、教育内容、教育におけるコンピュータ利用、ネットワーク
1.はじめに
情報リテラシーは、教育の場で育成される.そこで小論では、情報リテラシーを考える基準として、社会においてどのような情報能力が必要とされるかでなく、「情報」が教育においてどのような意義を有し、教育をどう変革するかを考える.その際、教育学的な観点(現象、理念、歴史、学校教育の文脈等を総合する枠組み)から、現状の情報教育の問題を出発点として、教育における情報の機能と意義を検討する.
2. 教育における「情報」に関する具体的な問題(現象面から)
コンピュータを用いた授業は、旧来のメディアを用いた授業とは大きく異なっており、筆者の観察によると、教授行動や学習活動に、これまで見られなかったような多様な変化や問題がおきている(大谷 1996 ).
2.1 学ぶ側の学習活動の変化や問題
・探索的操作など、これまでなら逸脱とみなされる学習活動が多い.
・アニメーションなどの作品は、家に持って帰るなど、自由に再現できないために、子どもがそれに固執することがある.
・コンピュータを使う授業は、評価と無関係だと感じるらしく、躊躇せず質問をする.
・これらを通して、学習観の変化がおきる可能性がある.
2.2 教える側の変化や問題
・コンピュータを用いた課題は、多様なやり方で達成でき、一意的にまとめができない.また、通常の作品のように掲示ができない.
・授業の最後に、作品やプログラムをセーブするための時間が足りなくなるケースが多い.
・子どもの探索的操作を容認し、奨励する.
・バグやネットワークトラブルなど、教師の解決できない問題が発生し、教師にコンピュータ不安を抱かせる.
・これらを通して、授業観の変化が起きる可能性がある.
2.3 情報教育をめぐるその他の問題
・インターネットからの暴力・破壊・性風俗的な情報の教室への侵入の問題
・ソフトウェアの違法コピーや著作権の問題
3. 問題の背景
これらの変化や問題の背景は何だろうか.
3.1 「情報」の本質的特性を考慮しない情報リテラシーの扱い
たとえば文部省(1988)は、学習指導要領のあらゆる教科のあらゆる学年の、かなり多くの部分に下線を引き、それが(文部省版の情報リテラシーとみることのできる)「情報活用能力」に該当するものだと説明している.
この位置づけでは、従来の「学力」や「コミュニケーション能力」などとの違いや重なりが不明確であり、混乱を与えている.また、「情報活用能力」の概念を広げすぎた結果、新たな概念として有効に機能していないきらいがある.同時に、このやり方では、革新的な内容を取り込むことができない.つまり情報化時代の新しいコンテンツが構想できず、その結果、従来の内容がそのまま重視されることになる.
またこれまで、教育方法としては、教育における情報メディアの本質的な特性について、十分な議論がなされていない.
つまりこれまで、「情報」と、「教育がこれまで扱って来たもの」との本質的な違いについての議論がなされなかったため、そのような認識が欠如しているといわざるを得ない.
3.2 これまでの教育文化と情報文化とのミスマッチ(不適合)
筆者は、そのことによって、教育におけるこれまでの文化と情報文化との不適合が起きていると考えている.上述の問題のほとんどは、教育がこれまで扱ってきたものの扱い方を、質量がなくモノとしての形態をとらない「情報」にも適用しているために起こる問題だと見ることができる.(たとえば、従来の作品と異なり、コンピュータ上の作品はセーブしないと無意味なこと.ネットワーク上の問題ある情報を悪書のようにモノとして入り口規制できないこと.コンピュータやネットワークの働きは、外部から見えず、制御できずに不安が生じること.) また、変化もそこから生じると考えられる.
4. これまでの学校教育の文化的特性と情 報を活用する教育の文化的特性との比較
それでは、これまでの教育文化と情報を活用する教育の文化とはどのように異なるのか.
4.1 これまでの教育のメディア
単純な筆記具などに始まり、現在は、主として書物などを通して学ぶ.対象は生活範囲を超えて広がるが、間接体験である.教育目的や内容を規定するものも含めて、メディアは主として印刷物であり、それに放送などが加わる.
4.2 これまでのメディアの与える特性
このようなメディアの特性の上に築かれた教育の内容は、普遍性、一般性が高いが、没個性になる.また、チャンネルである出版や放送は一種の権威である.教育の特性をあらわすキーワードは、集中化、一般化、受容、提供、リニアテキスチュアル、トップダウン、権威、生産性等である.
4.3 情報化社会における教育のメディア
ネットワーク社会におけるそれは、電子メール、メーリングリスト、WWWなどで、間接体験的だが、単純な間接経験ではなく、いわば「電子的に媒介された直接経験あるいは相互(対話)作用あるいは体験の共有」でもある.なお、対象世界に働きかける手だては広がる.
4.4 これらのメディアの与える特性
これにより、出版や放送などの権威を経ずに、世界に対峙することも可能となる.また、受容よりも発信が求められ、一般化よりも個性化・個別化が指向されると考えられる.その教育の特性をあらわすキーワードは、分散化、個別化、発信、交換、ハイパーテキスチュアル、ボトムアップ、アイデア、創造性等である.
4.5 教育内容および教育方法としての「情報」の本質
つまり「情報」を扱う学習とは、情報や情報手段について学ぶだけでなく、世界に対する態度、関わり方を変えるような、世界の切り取り方、世界への関わり方、知識構造のあり方を、教育の場で試行することである.これからの情報教育は、このように「情報」を基盤とする文化の創られていく場所であるという認識に立って構想され、行われることが求められる.
5. 教育内容としての「情報」の位置づけと内容全体の再構成
このような視点に立ち、これまでの教育内容全体を再構成する必要がある.その範囲は、権威を通じて共有されるような教育内容・成果を越え、人、物、土地の個性、自然、気候、風土、など、一般的でないがゆえに、発信、交換、共有の価値のある、すべての内容である.
たとえば、現在小学校中学年で行う郷土の学習の内容は、郷土住民としての子どもたちへの意義が重視される.しかしこれからは、それを「発信」の重要な内容として捉え直すことができ、それによって、扱い方も変わり得る.
またこれまで、発表や呈示は、作文や感想文などのように、リニア・テキスチュアルに行われてきたが、これからはハイパー・テキスチュアルな構成や呈示を学ぶことも考えられる.
またさらに、情報手段の特性に呼応し、情報マナー(ネチケット)に関する教育や「情報安全教育」が(現在の交通安全教育やdrug education のように)必要になろう.このような、関連するあらたな内容も構想される必要がある.
6. おわりに
今回の検討を通して、教育固有の情報概念の欠如の問題を痛感した.今井(1984)は、工学的な情報概念とは別に、経済学的な分析概念としての情報概念の必要を述べ、実際にそれを用いて経済事象を説明している.今後、教育内容・方法を検討するための分析概念として、教育固有の情報概念を検討し、用いる必要があろう.
文 献
・今井賢一(1984) 情報ネットワーク社会、岩波書店
・文部省(1990) 情報教育に関する手引き、ぎょうせい
・大谷 尚(1996)学校教育におけるコンピュータ利用を対象としたエスノメソドロジカルな研究手法の開発、科研一般(C)研究成果報告書
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