西野 節男の画像

専門領域について
Q どのようなきっかけでこの学問を始めたのですか?
きっかけといえば、大学の進学振り分け制度のせいだということになるかもしれません。理系に入学したのですが、途中で文転したくなり、結局、進学振り分け時の点数の低い教育学部学校教育学科(実は第3志望で)に進みました。そこに比較教育学の講座があり、学部4年の夏休みに、助手の先生に東南アジアの学校視察旅行に連れていってもらいました。異文化の面白さにはまったのはその時以来です。東南アジアに、研究・調査を目的に(あるいは名目に)何度も足をはこべるということもあって、比較教育学にのめり込んでいきました。

現在の研究について
Q 現在の主要な研究の内容を教えてください
東南アジアの教育改革の問題について研究しています。なかでもイスラームのプレゼンスの大きいインドネシアとマレーシアに関心を向けています。伝統的な寄宿塾ポンック・プサントレン、イスラーム近代学校マドラサ、一般学校スコラがとのような関係を持ち、どう変化してきたのか、さらにどう変化していくのかが興味深いところで
す。それは、人はなんのために生きるのか、人はなんのために何を学ぶのか、何を学ばなければならないのかというとと関わっています。文化と宗教の異なるコンテキストにおいて(人が生きるための)学習と教育に関する素材を集め整理しているといったところもあります。


Q 今までの研究で一番心に残っている出来事、ハプニングを教えてください
フィールド調査をしていると、衝撃的な経験も心に残る出来事も数多く、「一番」と言われると困ってしまいます。あまり考えずに、ここでは「一つ」だけあげておきます。インドネシア(ジャワ島)でプサントレン(イスラーム寄宿塾)のフィールド調査をはじめて間もない頃、神秘主義の実践(タレカット)で有名なプサントレンを初めて訪ねました。プサントレンの主宰者(キヤイ)はカリスマ性を持つとかねがね教えられ、心の準備はしていたのですが、そこで面会したキヤイのカリスマ性に衝撃をうけました。そのカリスマ性をトータルに描写する力は私にはありませんし、個々の属性に分解して記述すれば、カリスマではなくなるように思います。どうしてこのような人物が作られるのか。教育の処方だけでは考えられないところに、教育学研究の面白さがあります。カリスマとの出会いだけでなく、また一方で、その土地のとんでもない人物との出会いも、私にとってのフィールドワークの楽しみです。フィールドワークでは私自身がよそ者であり一時的滞在者であるがゆえの気楽さもあるかもしれませんが。

学生へのメッセージ
Q 求められる学生像を教えてください、またその他なんでも結構です。
私個人として、比較教育学や教育人類学に関心を持もってくれる学生、そしてフィールドワークに関して優れた能力と可能性を持つ学生を求めています。この分野はカバーしなければならない地域や問題が多く手つかずで残されていますし、あらたに多くの問題が生まれてきてもいます。自らが研究の過程で出来なかったこと、そして出来ないことを学生に期待しているのかもしれません。面白いテーマを発見し、面白い研究をやってやろうという意欲のある学生を大歓迎します。ところで、フィルードワークに関して優れた能力と可能性を持つ学生というのは、具体的にはどういう学生でしょうか?それはフィルドワークに限らず、自分が正にそうした学生だと信じ、そして思いこむことが大事だと思います。

指導生からひとこと
イスラームに焦点をあてた東南アジア教育比較研究を専門としていらっしゃいます。教育人類学研究のゼミでは、古典(もちろん原書)を読み、報告・討論をエキセントリックなリードで行っています。