Nagoya University
Graduate School of Education and Human Development Student Affairs
Furo-cho, Chikusa-ku
Nagoya, Japan 464-8601
Graduate School of Education and Human Development School of Education Nagoya University : Faculty : Department of Psychology and Human Development Sciences : Psychological Sciences :
TAKAI Jiro
専門領域について
Q どのようなきっかけでこの学問を始めたのですか?
学部生として最初はカナダのウィンザー大学で地質学を専攻していました。しかし、80年代初頭の貿易摩擦が原因で厳しい人種差別を受けるようになり、帰国することにしました。3年次編入で国際基督教大学に入学しましたが、地質学専攻がなかったため、新たな専攻として異文化コミュニケーションに興味をもちました。海外在住中に人種差別に悩まされたことから、民族間交流の問題の研究を実施したいと考えました。基督教大学では、著名な異文化間心理学者の星野命先生のゼミに所属し、卒論はバイリンガルのコードスイッチイングをテーマにしました。
帰国子女であることから、就職活動で有利になることはわかっていましたが、研究活動があまりにも面白かったので、大学院への進学を決意しました。しかし、わが国では大学院で異文化コミュニケーションという専攻はなく、当時めずらしかった「国際文化系」の専攻があった埼玉大学の文化科学研究科(社会文化論専攻)に進学しました。その後、博士課程では名古屋大学の教育学研究科教育心理学専攻の社会心理学専門(原岡一馬先生指導生)へ進学しました。父親が名大の農学部で客員教授として赴任したことがあり、名古屋大学は以前から憧れの大学でした。当時日本語が怪しく、心理学の知識も万全ではなかったのですが、帰国子女という特色のある学生であったため、特別に優遇して受け入れていただいたと思います。名大は2年在学し、広島大学に就職が決定したため課程修了前に退学しました。広島では大学の国際交流に関する研究に従事し、留学生の異文化適応について研究していました。その後名古屋に戻り、市立大学で異文化コミュニケーション論および異文化間心理学を担当していました。最後の職場である南山大学では対人コミュニケーションを担当していました。
現在の研究について
Q 現在の主要な研究の内容を教えてください
主要テーマは対人コミュニケーション・コンピテンスです。これは他者と円滑な相互作用を運ぶための能力を意味しますが、ほとんどの研究が米国の白人男性を意図したコンピテンスの概念にもとづいて実施されており、文化や性差の違いが十分に検討されていません。現在取り組んでいる問題は、直接的と間接的な対人影響方略と、その効果性および適切性についてです。今のところは日米の比較文化的視点で行っていますが、従来の日本人論が提唱している日本人の遠慮、婉曲的な表現の好みなどは確認されていません。文化心理学の中心的な理論である個人主義・集団主義理論の妥当性が疑われる結果になっていますが、これは世界の各文化がグローバリゼーションによって収斂していると結果を反映していると解釈できます。要するに日本および全世界は「アメリカ化」されているということです。いうまでもないですが、文化相対主義的な観点からこれは決して好ましい傾向とはいえません。
Q 今までの研究で一番心に残っている出来事、ハプニングを教えてください
ネガティブな出来事として、95年に米国の学会(コミュニケーション学関連)で初めて発表したときのことです。それまでは国内の学会でOHPや配布プリントで発表していましたが、他の発表者も同様なプレゼンテーションをしていましたのでまったく問題は感じませんでした。ところが、米国の発表者は研究発表をまさにパフォーマンスのように演じており、冗談を連発しながら、手をポケットに入れて、机の上に座り、コンピュータによるスライド提示をしていました。自信に満ちた素振および口調とハイテク技術を難なく駆使する姿は日本人の私にとって戦争が終わった直後の進駐軍の兵士を見ているようでした。私の発表は配布資料の棒読みといった、前近代的なもので劣等感を感じました。言い訳かもしれませんが、当時日本ではラップトップ・パソコンが車と同じ価格に匹敵する高額な機材に対してアメリカでは既に低価格な家電であった状況でしたし、発表用のソフトウェアも普及していましたから、ハンディはありました。今は国内の学会でもパワーポイントは当たり前になってきましたのが。
ポジティブな出来事は、その米国の同じ学会において学会賞を受賞したことです。5年前のロー・テクな発表の雪辱を晴らすことができ、名誉を挽回しました。今になって考えると、自分の雑な研究(卑下しているのではなく、本当に雑なのです)が受賞するほどならば、大した内容ではない発表が多い学会だなと思います。発表の技能はたしかにすごいですけど。やはり子供のころから人前で自分の意見を発表する場が多く与えられる米国人は自然に面白い、説得力のある発表や自己呈示ができるのかもしれません。
学生へのメッセージ
Q 求められる学生像を教えてください、またその他なんでも結構です。
理想的な学生は、定評な理論や信念にとらわれず、自分の独特な発想をいかす学生です。こうした学生は刺激を与えてくれて、指導することから自分自身の研究が影響を受けたり、自分の学者としての成長にもつながります。卒論指導を通じて今まで毎年こうした学生に恵まれています。
最後に、私の異文化コミュニケーション論の学問観について付記させていただきます。授業では異文化間交流のすばらしさを強調するよりも、その弊害を中心としています。要するに人種差別に至るまでのプロセスやメカニズムや、異文化環境から経験する疎外感、不適応、境遇的存在感などが主要テーマです。キャリア目標の一つとして、「The Dark Side of Intercultural Communication」という本を書きたいほど、強固な否定観をもっていますが、それは同業者たちが異文化のすばらしさと日本文化の欠点を強調していることに対する私なりの反発かもしれません。以前同僚に、「うちの学生は異文化に憧れて入学したのだから、夢をつぶしては可哀想だ」と指摘されたことがあります。幼少時から外国で育ったことのない人にはこの否定観の重要性がわからないかもしれません。異文化を専門とする先生方の外国経験は社会的地位の高い留学生あるいは客員研究員として、滞在先では「お客様」扱いされることが多く、しかもその滞在先が国際化や異文化に関心や理解のもつ知識人が集中している大学都市ですから、良い経験をされて当然です。しかし、そうした方々は移住者としての経験、特に人種差別や外国人が受ける迫害の経験、を十分に知らないと思います。学生もそうした先生からの肯定的なイメージばかりを抱いて海外へ留学や赴任した場合、万一差別を受けたとしたらそのときのショックは大きいでしょう。私の授業は一種の免疫効果を学生に与えるものと理解していただければこうした否定観がゆるせると思います。
4月から皆様にお会いできることを楽しみにしています。どうぞよろしくお願いいたします。
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